きみは100m何秒か?

東京オリンピック・パラリンピックという言葉を聞くと
私たちはクールで多様性を認める差別をしない洗練された現代なんですというニュアンスを感じるが
パラリンビックという言葉の中には
精神障害者や知的障障害者は含まれない
しかし、それは特に差別ではないとも思う

双極性障害110mハードル障害(A型)
競歩(発達障害)
とまで区分けしていくと
そもそも俺達は何のために100mのタイムを計らなければならないのか
という問題に直面するのではないだろうか
実際、100m10秒を切ったらなんなんだよ、ということは冷静に考えればある

障害者は人として劣るものであるから
殺すべきだというような発想をもつ人が
地上に数千人くらいいることは特に不思議な事ではないだろう

それは、
生身の女なんて糞だアニメの女こそ至上だ思っていきる男や
どんなにかわいい猫でも生理的に嫌いだという人や
白人をみると虫唾が走るという人や
5という数字がなぜか嫌いな人
ほうれん草は絶対に食べたくないという人がおるように
意思ではあらがえない原始的な感覚として
ある程度存在するものもあるのではないかと思う

それを、
差別は絶対に許さない
という論理で押し切るのは俺は少し違うと思う
多少、人に嫌われたり
ある程度の不当な扱い?を受けるのは、
地上で私達がいきる上で、
あるいは発展していくうえでの1つの前提ではないだろうかと思う。













コメント